誕生日は過ぎていたけど、26歳はファンタジーに

2月、美容院に行き、久しぶりに髪の毛を短くしました。アゴと同じくらいの襟足と、鼻と変わらない長さの横髪。色は、ここ1年ずっと続けているみどり色。

みどり色の髪の毛は、わたしのお気に入り。みどり色であることによる自分の高揚感も、視線の向けられ方も、そこから生まれる会話をも楽しい。みどり色の髪の毛で歩くだけで、少しだけすべてがファンタジーになるところもだいすき。

……ここまでが2月、つまり、25歳の間に書き溜めていたこと。ここから26歳の誕生日(3月25日)はあっという間にやってきて、過ぎて、4月から5月に移ろい、今日からは6月です。本当にあっという間に誕生日は過ぎ、全く誕生日ブログではなくなってしまいましたが、書き始めたのだから書き終えます。


と、いうわけで、すでに26歳と2カ月ちょっとの人間になっているので、26歳に起きた最初の変化をお伝えします。猫の登場です。

手前がこんぶで、奥がひじき。双子猫だよ

猫が家にいるのは、本当はどうしたって現実のはずなのに、自由な生命体がそこここに存在しているという点で、少しだけ日々をファンタジーにしてしまいます。トイレ掃除、散らかした砂の片付け、ブラッシング、ご飯を見守り……と、どこまでも「リアル」な工程の中で限りあるリアルな生命と向き合っていても、そこにただいる“わたしとは別のことわりで動いている生命体が生活空間の中にいる”ということ自体が、“わたしの人生”にとってちょっとファンタジーなのです。

元は2011年8月に出版された単行本。2022年になって文庫化された

想像力は、倫理について考えるのに役立ちます。戦いのほかにたくさんの比喩があり、戦争のほかにたくさんの選択肢があります。そればかりか、適切なことをする方法のほとんどは、誰かを殺すことを含んでいません。ファンタジーはそういうほかの道について考えるのが得意です。

アーシェラ・K・ル=グヴァン , 谷垣暁美(訳)(2022). いまファンタジーにできること 河出書房新社 p.15-16

雪の日、ひとけのない道ではしゃぐ25歳(酔っぱらい人間)

26歳、もっと柔らかくなりたいし、もっとしなやかになりたいです。あやふやなことを壊さずに保てる剛さ(つよさ)や、恐れずに引き返せる豪さ(つよさ)、きちんと悔んで留める勇さ(つよさ)、そういう「パワー」の「強さ」ではない“つよさ”を持ちながら柔らかくしなやかに在りたい。

26歳もどうぞよろしくお願いいたします。

ちばひなこ

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