たくさんの日記をつけていこうと意気込んでいたにもかかわらず、個人的な日記は手元にばかり溜まっていき、オンラインには一向に表せていないまま27歳を迎えてしまいました。
今日は27歳になって3日目。改めて、26歳を振り返ってみたいと思います。
26歳を始めてすぐのころは、「ファンタジーに生きていく」ことについて考えていたからか、26歳の間にも複数のすばらしいファンタジー作品に出会っています。そのひとつが漫画『圕の大魔術師』です。知識を得ることや活かすことは、自分を強く見せるのではなく、自分とは異なる誰かを大切にしたり敬ったり、共に生きていくのにとても大切なのだと主人公の少年の行動の一つひとつで感じます。(ファンタジー作品としての構成や漫画としての書き込みなど、純粋にとても面白い作品です)
仕事周りの振り返りは、実績を「経歴」ページに更新したのに加え、制作実績ページも「仕事」ページとして公開したので、詳細は省きます。自分のしてきた仕事ひとつひとつを振り返りながら、何を大切にしながらどんな工夫をしてどう仕事を行ったのかを振り返るのは、自分自身にとって必要な時間でした。
僕も故郷を出てきてから 自分に根付いた普通との違いに戸惑うことばかりです。都には様々な土地の人が集まっていて それぞれの場所にそれぞれの大切な普通があって 僕もそれら全てが心地よく受け入れられるわけではありません。どこまでを周りに合わせて どこから自分を譲らないのか その境界線の引き方に答えの出る日はくるんでしょうか―――……
『圕の大魔術師』 シオ=フミスの台詞より
仕事をふりかえりながら、私自身がどこから自分を譲らないのかをすごく考えました。結論から言えば、私にとっては、「(あなたとわたしは違い、異なる一人ひとりであるからこそ)違いや異なりは意識してリスペクトしあいたい」ことは、27歳の私にとっては譲りたくないことのようです。
また、「異なりが活かせるチームを築くこと」や「チームが生き生きするための余白のあるフォーマットをつくること」がとにもかくにも好きだという気づきもありました。限りのないことだから、更新をし続ける前提で、統一を求める。繰り返される作業の中に、束の間の収束があり、その収束の波にすごく気持ちが高まることを感じています。
キーワードで考えると「不在のなかの存在」もとても気になっています。
チームのこと、社会のこと、世界のこと、主体が大きくなればなるほど“個体”としての自分は透明になっていく……というか不在のように感じる時があるかもしれません。けれど、実際のところは不在ではなく、大きな主体の中にも確実に個体が存在していて、その不在のなかにきちんと存在しているはず。そんな風に考えてみると、私の感じている「束の間の収束と気持ちの高まり」の輪郭は、不在のなかの存在の実感なのかもしれません。
さて。
27歳、まだまだ分からないこともたくさんあり、やってみたいこともたくさんあり、楽しいです。自分の中で無数の仮説を立てながら、試行錯誤を繰り返しています。28歳になるころには、穏やかな風や柔らかな光のようになれたらいいな。加減次第で苦しく鋭くなるようなことをもっと調整しながら、朗らかな時や空間がつくれるような28歳に憧れます。

瀬戸内海で撮影した柔らかい光。この時は、風の声がさまざま聴こえてきて、風の音にいろいろな名前を感じて楽しんでいました。もっと異なる土地にももっと行ってみたいな
……と、いろいろ書きましたが、27歳、引き続き漫画ばかり読んでいる日々です。映画で描かれる一人に対する没入感やカメラ越しのまなざしとは違う、物語の中にだけ流れている時間や存在している社会を感じながら漫画を楽しみ続けています。
みなさまのおすすめ漫画、いつでも教えてくださいね。それでは、また。

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