27歳を迎えながら考えたこと、不在の中の存在

たくさんの日記をつけていこうと意気込んでいたにもかかわらず、個人的な日記は手元にばかり溜まっていき、オンラインには一向に表せていないまま27歳を迎えてしまいました。

今日は27歳になって3日目。改めて、26歳を振り返ってみたいと思います。


僕も故郷を出てきてから 自分に根付いた普通との違いに戸惑うことばかりです。都には様々な土地の人が集まっていて それぞれの場所にそれぞれの大切な普通があって 僕もそれら全てが心地よく受け入れられるわけではありません。どこまでを周りに合わせて どこから自分を譲らないのか その境界線の引き方に答えの出る日はくるんでしょうか―――……

『圕の大魔術師』 シオ=フミスの台詞より

キーワードで考えると「不在のなかの存在」もとても気になっています。

チームのこと、社会のこと、世界のこと、主体が大きくなればなるほど“個体”としての自分は透明になっていく……というか不在のように感じる時があるかもしれません。けれど、実際のところは不在ではなく、大きな主体の中にも確実に個体が存在していて、その不在のなかにきちんと存在しているはず。そんな風に考えてみると、私の感じている「束の間の収束と気持ちの高まり」の輪郭は、不在のなかの存在の実感なのかもしれません。

瀬戸内海で撮影した柔らかい光。この時は、風の声がさまざま聴こえてきて、風の音にいろいろな名前を感じて楽しんでいました。もっと異なる土地にももっと行ってみたいな

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