誕生日に毎年ブログを書こうとして、毎年うまくいかない。春は一番好きな季節なのに、今のライフサイクルでは、春はせわしない間に過ぎて行ってしまう。
気持ちに余裕がないか、身体に余裕がないか、あるいは気持ちにも身体にも余裕がないか、そんな日々ばかり過ごしている。……こんな暗い書き出しだけれど、徐々に話は明るくなっていくはずだから、安心して読み進めてほしい。
さて、誕生日に話題を戻すと、29歳を迎えて数日が経った時に、同じ学年ではあるが、3月末の早生まれの私とほぼ1年違う、4月頭に誕生日を迎える遅生まれ(?)の友人から「もうあと数日で20代が終わってしまうから、遊びに行こう」と誘われて、そうか、私にとってもこれが20代最後か、としみじみと思ったのである。加えて、新社会人になった妹にも「誕生日おめでとう!楽しい20代ラストイヤーを!」とLINEで言われ、本当にラストイヤーなんだな、と噛みしめた。もう若手ではないな、と思うけれど、大きな会社でバリバリ働く生活をやめてしまったので、若手というくくりやステージ○○といった役職の感覚も今はあまりない。1年半前までは髪の毛を色とりどりにしていたけれど、最近は黒色に戻したので、そういう意味では多少落ち着いた風貌だが、心の中にはずっと子どもがいて、今年の誕生日は髪の毛にリボンを巻けるおもちゃを買ったし、くまの形をした楽器も買った。
おもちゃで遊ぶのは楽しいし、おもちゃを作るのも楽しい。
何を“おもちゃ”とするのか、というところは、なるべく広い定義にしていきたいところだが、私の中では、生きるためには本来必要ではないようなもの、必需品ではないもの、不要なはずなのに手が伸びるもの、遊んでいるという感覚になれるもの、楽しく過ごせる道具や時間、そんな感じのとらえ方をしている。
28歳のベスト漫画のひとつは『ありす、宇宙までも(著:売野機子)』で、加えて『CHANGE THE WORLD(著:田川とまた)』も今年に入ってからのお気に入りである。できないこと、やったことがないこと、知らないこと、わからないこと、そういうことを手探りで追い求めてよいのだという肯定感と、学ぶ喜び、出来る嬉しさ、伝わる楽しさ、そういったものがたくさん詰まった2冊だ。彼らの真剣な情熱はおもちゃではないものに向いているが、私の心は同じように“おもちゃ”に向いているなあ、と思う。
最近の一番の“おもちゃ”は、ガラスで、毎週工房に通いながらへたくそなガラスのコップをつくっている。本当にへたくそで笑ってしまうが、これがまぁ楽しい。できないことばかりで、先生にも「やすりがけが上手いね」なんて褒めるところがなかったのかもしれないと心配になるような褒め方をしてもらうくらいで、夢に見た色とりどりのカラフルなガラスのキラキラ世界は程遠く、毎週透明のガラスを溶かし、まるめ、吹いて、膨らまし、まるめ、伸ばして、いびつなコップにしている。楽しい、本当に楽しい、できないことばかりで、実に楽しい。家の中で、時には散歩をしながら、工房外でも竿をずっとくるくる回している(正確には、100円ショップで買った棚を作るための棒を、吹きガラスの竿と重さと太さが似ているから勝手にミニ竿として自主練に使っている)。この回している自主練時間すら楽しい。
少し頑張ればできることの方が多い人生だったと思うし、逆を返せば、少し頑張ってもできないことは全て放棄してきた人生でもあったと思う。あまり頑張ったことがなく、学生時代の最後の方で、父に「おまえは何一つ頑張ったことがない」と言われたことをずっと胸に抱いている。「そんなことないよ」と言い返せなかった昔の自分の背中を撫でながら、まぁそんなことないよという程はたしかに何も頑張ったことないもんね、といつも思っている。図星でしかない、本当に。
一生懸命したことはたくさんあるし、努力したことももちろんあるけれど、頑張ったかといわれると、そこまでの胆力がずっとない。今もガラスはとにかく楽しいが、頑張っているか、と言われると、頑張ってはいないような気がする。ちゃんと頑張ることは私にとって、常にとっても難しい。
29歳、頑張れているかどうかはさておき、このまま「できないこと」を楽しみたい。できないままで楽しいことが初めてで、今はとにかく新鮮。できないことができるようになることが楽しいのは分かるし、思いもよらないことができることに気づくのも嬉しいし、できることを褒められるのも心が弾むが、今回は本当に「できない」のだ。できないのに楽しい、胆力で踏ん張るほどまで至ってすらいないだけかもしれないけれど、できないことを楽しめていることが嬉しくて、毎週いちばん好きな時間として工房に通っている。
夏の工房は熱くなる。昨日も熱中症で倒れてしまった。体力をつけてもっと作れるようになりたい。楽しいなあ、出来なくて本当に楽しい。できないのってこんなに楽しいんだな、と心底思う。同時にできないからといって怒られないっていうのもありがたいことで、これは大人だからこそ成り立つ事象だろう。もう29歳、立派な大人だ。立派かどうかは分からないけれど、立派「に」大人ではある。子どもからみたら大人だろうし、鏡で自分を見ても大人だなと思う。子どもの頃に思い描いていた大人では全然ない。テロっとした素敵な服とハイヒールでさっそうと街を歩いてはいないし、素敵な部下と上司とランチも食べていないし、街中を歩いても自分の手掛けた仕事はほとんどない。だからといって困ってもいないし、嘆いてもいない、なるようになるんだなあ、と本当に思う。大人になるとできなくても怒られないんだよ、と子どもには是非教えてあげたいが、子どもであっても今の時代ならもう怒られないのだろうか、どうなのだろう。長くなってきたが、とにもかくにも29歳はできないことをできないままに楽しもうと思う。冬には作ったガラスのお披露目会をしようと思っているので、ぜひ遊びに来てください。あぁ、楽しみだなぁ、本当に楽しみ!


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