30歳になった。正確には、もう30歳になって2か月が経つ。30歳になった日の朝、父から「あなたの生まれた日のことよーく覚えてますよ~」という連絡が届いた。私はこの日のことをずっと覚えているのだろうなと信じられて、かつ実際に30年後も覚えているであろう日のことをまだ知らない。
ローティーンだった頃、私の人生が朝ドラになったらこのシーンはきっと入ってくると思うと話しながら大笑いして学校から帰った。ハイティーンになってから、きっとこの日のことは覚えていると確信していたいくつかの日があった。でも、意外ともう覚えていない。
覚えているのだけれど、きっと父の言う「よーく覚えてますよ~」に比べたらそんなに覚えていないなと勝手に想像している。
人の記憶を勝手に想像して比較までしているので、おこがましい話ではあるのだけれど、ここで大事なのは真偽のほどではなく、とにもかくにも私には今そういう心持があるということなので、この“おこがましさ”は棚にあげさせてもらいたい。
ティーンのころに体育館に集められて聞いた「卵子は30歳には、驚くほど急勾配に着床しなくなっていき、母体も危険が増える話」が今でも気持ちに残っている。その日のことは、それこそほとんど覚えていないのだけれど、その話はずっと残っている。でもその場で盛り上がったかというと、ティーンの私は友人らと、卵子の話なんかよりその講師の方が「あなた方に白馬の王子様は現れません」となぜか途中で宣言していたことに対して、暗に講師がブスだからではないかという内容を込めて、それは人によるだろうと爆笑して帰っていた。まだ白いハイソックスをはいていて、短く切ったスカートは膝上というよりも股下で測った方が早い短さのころの話。
記憶にはある、いろいろなことが。でも、それのどれもきっと父の言う「よーく覚えてますよ~」にはきっと敵わない。こどもを生みたいのかもしれない。
30歳にもなると、ジョブチェンジというものがどんどん想像できなくなる。たくさんの大人がジョブチェンジしているのを知っているのに、自分自身ではそれが想像できない。きっと30歳のせいではなく、私のせいなんだけれど、一旦30歳のせいにさせてもらう。一旦ではなく、今後一生そうさせてもらう。
隣町まで移動したら、持っている羽の数でジョブチェンジが出来る世界だったら、いまなら吟遊詩人になりたい。ファイアーエムブレムでずっと好きだったのはアゼルくんだったが、最近はレヴィンに憧れる。遠くの世界に行きたい、行きたいなら行けばいいのに、たかがしれている幾つかの足元にまとわりつくものを手放す勇気もなく、どこにも行けない。
こどもを生むことを一種のジョブチェンジだと思っているのかもしれない、だとしたらこどもを生みたいと思うのは筋違いだなとも思う。気づいたころからは長生きしたいと思ったことがない私は30歳を超えてもなお生きていくことすら想像がつかない。30歳の自分が想像できていないのに、なってしまった。35歳まで生きていることもやはりあまり想像ができない。こどもがいたらもう20年先まで生きている想像をする必要があるのだと思うと、もう全然できないことだな、と血の気が引いていく。
脳内で何度もプラネテスの「愛しているのよ、何もかもみんな、愛している、だから…」のページが現れて、泣いていてもわかっていると言ってもらえるあたたかさを思い出せたらいいのに、その次のページまでは現れなくて、ただただ「だから…」で脳内が止まってしまう。
誕生日に毎年描いている雑記が、ここ数年は全く誕生日にかけていない。忙しいのだろうか。忙しそうだねとよく言われるし、AIに管理してもらっているタスクでは毎日これは物理的に終わりませんと言われる。じゃあ仕事を減らせばいいのではとも思うのだけれど、仕事を減らしたら生活ができなくなる。であれば、本を買うのをやめて、映画館に行かず、猫を手放して、もっと安い家に住めばいいのかもしれない。でも、そうしてしまったら私にとっての最低限度の生きている感じすら保てなくなってしまうので、却下させて。
ブランドのもつ魂の美しさが好きだったが、もうだいぶそういう類の魂をもつようなものを買うことから遠ざかっている。代わりに自分の魂は自分でつくるしかないよね、と機械類を買い込み、落ち着いたらこの世のすべてを自分でつくってやろうと息巻いているのが、今。すべてってなにかって?もう、そりゃすべてだよ。
作りたての大きな羽を背中に背負って、遠い国まで飛んで遊びに行きたい。知らない世界で知らない慣習を覚えたい、知らない常識の中でまだ変わっていく余地があるかもしれない自分の魂の柔らかさで遊びたい。丁寧な生活のことが一向に好きになれない。暮らしは好きだけど、生活には興味がない、生きるためにしたいことなんて何もなく、暮れていく日々を楽しくはすごしたい。だから…、だからなんなんだろうね、だからぎゅっと抱きしめてほしい、そう思いながら猫を撫でる。


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